瞑想について
ヨガ歴22年、13年間インドに通い続け伝統的なヨガや瞑想を学んできた日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者、吉川めいによる瞑想についての解説です。
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瞑想とは
瞑想とは、一般的に心を静かに安定させる実践として定義されます。瞑想練習の基本は「ただ坐る」「ただ観る」というシンプルな非行為的な行い(non-action)です。「ただ坐る」ことは、坐りながら「私は在る(I am)」と認知し、思考や感情などの心の内容物を観察することを通じて心の安定性を養うプラクティスです。
また、そこで育まれた自覚意識(アウェアネス)は気づきのある状態(マインドフルネス)を促し、心の揺れを抑え、次第に思考や感情に振り回されにくい、安定した意識の土台を思い出させてくれるでしょう。
日本語の「瞑想」はサンスクリット語の「ディヤーナ」に由来する言葉です。それは、集中を保持した先に至る状態であり、頭で理解するコンセプトや努力で得る状態とは異なります。
「メディテーション」は英語で「瞑想」を指す言葉です。その語源はラテン語の "meditatum" から来ており、「思索する」という意味があります。チベット語で「瞑想」は「ゴム(gom または ghom)」と言い、「慣れ親しむ」という意味があります。つまり、瞑想の実践は心の内容や働きについてまずよく知り、深い洞察を促すということです。最終的には心の動きに支配されない、心を超越した状態(「私はただ在る(I am)」)に慣れ親しむことを指します。
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「瞑想」における2つの定義
私は、瞑想をよりわかりやすくするために、以下の2つの定義を用いて説明します。
- 「瞑想」という練習
- 「瞑想」という状態
1は2を目指していると言えます。
それぞれを見てみましょう。 -
1. 様々な「瞑想」の練習方法
瞑想には、様々な具体的な方法があります。有名なものには、静座、坐禅、ヴィパッサナー瞑想、慈悲の瞑想(慈愛の瞑想)、マントラ瞑想、トラタカ(一点集中)瞑想、阿字観瞑想、マインドフルネス瞑想などがあります。
他にも、音楽やガイドを用いたガイデッド・メディテーション(誘導瞑想)や呼吸法など、瞑想練習やその入り口として挙げられますが、本来瞑想はどのアプローチを活用しても2の状態を目指していることには変わりなく、重要なのは安定した形で継続することです。
実際にやっていただければわかるのですが、ストレス軽減や自己認知の向上など、身体と心の健康や気づきの意識のある暮らし(マインドフルネス)など、数多くの利点があります。
では、全てが目指している2の瞑想状態について少しお話ししましょう。
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2.「瞑想」という状態とは
仏教では「無心」と呼んだりします。時間や空間など、人の思考のコンセプトから解放されている状態です。インド哲学においては「I」(私、我)を最初の思考と認知するので、最終的には「I」(私、我)というアイディア、コンセプトさえも超越します。
その手前でも感じられる瞑想のベネフィットはたくさんあります。時間がない、眠っていない、自覚意識(アウェアネス)がある、気づいている。このような状態が育まれるから、マインドフルネスが捗るのです。
最後に、瞑想は実践につきます。瞑想はコンセプトや思考自体を超越するものなので、それ自体を「分かる」ものではありません。
例えば、瞑想の資格や免許があるということはその流派について学んでいる証拠にはなりますが、実践がどれくらい進んでいるかの証明にはならないということです。
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瞑想練習の効果はどんなもの?
私、吉川めいのInstagramのアカウントで瞑想の効果についてアンケートをとったものです。
・イライラしにくくなった
・ムカついても感情的にならなくなった
・感情に振り回されなくなった
・感情から直接行動せず一呼吸おけるようになった
・心が揺さぶられることがあっても、心が乱されなくなった
・嫌なことがあっても引きずらなくなった
・以前は思いつかないような答えが浮かぶようになった
・日々の小さなことに喜びが感じられるようになった
・心の中にいる本当の自分に戻れた感じ
・ネガティブになった時に、自分に優しくできるようになった
・自分を客観的に見れるようになった
・自分の嫌な部分も受け入れることができるようになった
・自分一人の平和な空間が持てるようになった
・心に余白が生まれて心地が良い
・精神的に強くなった
・自分に優しくなり、その結果周りにも優しくなった
・怖くて踏み出せなかった一歩が踏み出せるようになった
・思考のグルグルから解き放たれた
・心が落ち着くお守りを手に入れた気分
これらは、瞑想練習生の特徴とも言えるでしょう。
なぜ、最初は瞑想って難しいの?
ずっと仕事で座ってばかりで、猫背で腰痛持ちの人が運動不足の状態でヨガなどの運動を始めると、最初は辛いものです。それは、体が猫背で腰が凝り固まった状態に「慣れ親しんで」しまっているからです。
しかし、少しずつ運動を続けていると、体は自然治癒力や中庸の元々持っている感覚を思い出します。すると、良い姿勢が最も心地よくなり、体の基礎姿勢がよくなることで生活が楽になり、病気や身体的な不具合を防ぐことができるのです。
同じように、ずっとジャンクフードばかり食べていた人にとって、新鮮なサラダを食べても物足りなくて美味しく感じられないかもしれません。それは、舌が添加物などの刺激に慣れてしまい、本来の調和のとれた自然の味を楽しむ感度が鈍ってしまっているからです。
瞑想練習でも、最初に坐ると、まずムズムズして体が動きたくなり、考え事が始まってただ熟考する時間になってしまう、リラックスしたら疲れが溜まっていた心と体が眠気に襲われるなどの初期症状が出ます。それもそのはず、現代社会は「考えること」「計算すること」「過去を振り返ること」「心配すること」などがデフォルト設定になってしまっています。「今、ここ」に意識を置いたまま、「ただ在るだけ」といったシンプルな状態の方がむしろ難関なのです。
しかし、正しい認識を持ちつつ瞑想練習を続ける価値はまさにここにあります。野生動物を時間をかけて優しく調教するように、自分の心のワイルドな動きの扱い方を覚えることができたなら。瞑想練習を継続することの結果は、上記のInstagramに届いたみなさんの瞑想の効果についての回答が何より物語っています。
瞑想は怖くて怪しいもの?
皆さまは、「瞑想って…怪しくない?」といったような、瞑想に対して少し恐れや近寄り難いイメージを持たれたことはありませんか?
日本においては、1995年の地下鉄サリン事件を起こした宗教団体が瞑想やヨガを取り入れていたことから、瞑想は風評被害ともいえるネガティブな影響を大きく受けていると言えます。当時の印象を直接覚えていない方であっても、いまだにヨガや瞑想に対して「なんとなく怖い」という印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、近年ではグローバル化の進展に伴い、外資系の大手企業や有名大学が瞑想やヨガを取り入れるなど、海外の情報も多く伝わるようになり、ヨガや瞑想に対してポジティブな印象を持つ方も増えてきています。
瞑想は、心の中の領域に関するものであるため、大きな力を持っており、それを「怖い」と感じる方がいらっしゃるのは健全なことだと私は考えます。むしろ、場合によってはこのような慎重さを持つことが、盲目的に飛び込むよりも望ましいとも言えるでしょう。
それでは、どのような瞑想が怪しいネガティブなもので、どのような瞑想があなたの力となるポジティブなものなのでしょうか?ポイントは「判断軸が自分にあるのか、それとも他にあるのか」です。
本来、瞑想とは「ニュートラルな意識状態に慣れ親しむこと」であり、これはあなたがあなた自身のために行うものです。ニュートラルな意識状態になったとき、自分の判断で自分の内面を観て感じ、またその瞑想での気づきを自分の判断で日常に生かしていくものです。インストラクターがいる場合でも、インストラクターはあくまであなたがニュートラルな状態になれるよう、様々な角度から支援する存在に過ぎません。
ニュートラルな状態になった際に、指導者が個人的な主義や主張を伝えるような場合、それは瞑想ではなく、洗脳と言えるでしょう。瞑想とは「誰かの思考や観念」を(本人の意思とは無関係に)植え付けるものではありません。
ご自身の「判断」を放棄し、瞑想を誘導する側に(盲目的に)答えや判断を委ねることのないようにしてください。自分の望まない思想の“種”を植え付けられることもあり、それこそがまさに皆さまが怖れている点ではないでしょうか。
あくまで、瞑想をして自分を観るのもあなた自身であり、気づくのもあなた自身であり、答えはあなたの中にあります。誰かや何かに依存して答えを求めるものではないことを認識していただければ、瞑想は決して怖いものではないとご理解いただけるでしょう。
(なお、ヒプノセラピーやイメージ瞑想など、セラピーを目的とした瞑想の分野においては、これまでネガティブだった心の土壌に、あえてポジティブなイメージや発想を“植え付ける”方法もあります。しかし、そのような手法を選ぶかどうかは、必ず実践者ご本人にあるということを忘れないでください。)
瞑想の練習方法や先生を選ぶ際の注意点
瞑想の練習方法は数多く存在しますが、その中から自分に合うものを見つけるには、ご縁のある方法をいくつか試してみる他ありません。新しいことを学ぶ際にはどの分野でも同様ですが、その際には実際にそのメソッドを経験した方の口コミやレビューが参考になるでしょう。しかしながら、瞑想については特に、心の内面という繊細な領域に関わるため、自分にとって心地よい(少なくとも違和感のない)メソッドが見つかるまで、いくつか試してみることが必要だと考えます。
前述しましたように、すべての「瞑想の練習」が目指しているのは「瞑想という状態」です。その意味で、音楽やガイドなどを使った瞑想練習は、水泳でいうところの「ビート板」のようなものであり、それらは初期段階での支えとなるツールに過ぎません。そのため、それらのツールがなくても瞑想ができるようになることが理想であり、「そのツールがないと瞑想できない」といった状態に留まらないよう注意が必要です。
また、瞑想の指導においては、坐り方や練習の段階で起こるステップを詳細に解説し、わかりやすく導いてくれる指導者の存在が重要です。そのような指導者は、「テキストなどの情報」だけでなく、自身が積み重ねてきた「坐る経験」を持っている方であるべきです。例えば、料理の知識が豊富でも実際の調理経験が少ない先生から学びたいとは思わないのと同じで、瞑想でも知識以上に実践の経験を重視するのが望ましいのです。それは、言葉や説明以上に、その人が持つ存在感から沈黙の中で伝わるものが大きいからです。
さらに、良い指導者は「私のメソッドがすべて」とは言わないでしょう。瞑想の目的は同じでも、その入り口は複数あることを理解しているため、広い心で他の方法も尊重する姿勢を持っています。また、「答えは必ずあなたの中にある」と伝え、練習生をサポートする役割を果たし、「答えは私が持っているから従いなさい」といった態度は決して取らないはずです。
つまり、瞑想とは本来、自分自身を強化するものであり、その学びの過程においても、指導者は生徒を依存させないよう心がけるべきだと私は考えます。
はじめての瞑想 5つのステップ
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1. Breathe & Relax(姿勢)
深い呼吸と姿勢を整えることが最初のステップです。リラックスには程度があり、これ以上力が抜けないくらいまで、完全なリラックスを目指しましょう。姿勢を保つことで神経システムもリラックスさせ、副交感神経が優位になるよう心がけます。
2. 挨拶
自分に対して「I am here(私は“在る”)」と挨拶する気持ちで行います。他人が悩んでいるときに「ここにいるからね」と声をかけるように、自分の存在を自覚し、その事実を受け入れます。
3. 一点集中
複数のことを考えるのではなく、一つの対象に集中すること。瞑想中には目を閉じて呼吸に焦点を当てるか、目を開いて具体的な対象に注目を集めます。このステップでは集中を保持することが大切です。
4. 柔らかい観察
ただここにいる・在るという事実にフォーカスし、柔らかい観察で集中を継続します。無理なく、力を抜いた状態で観察することが重要なのは、力んでいると継続が難しいからです。
5. ただ在る
特定のタスクを与えるのではなく、ただ存在すること(Being)に焦点を当てます。柔らかな観察と集中を継続することが重要です。そうすることで、初めのうちは特に、思考や感情、記憶や想像が浮かび上がってくることが多いでしょう。これらのものに対しては、「ただ在る」中で「ただ観る」ことを心がけましょう。「考えている」という状態から「考えがあるな」と観察している状態で座るよう意識してください。
このステップを毎日の継続的な実践によって自然なものにしていくことで、効果的な瞑想の状態が身についてくるでしょう。瞑想の効果を感じるためには継続が欠かせません。一度だけでなく、毎日少しずつでも続けることが大切です。1週間に1回の長時間よりも、毎日短時間の瞑想の方が効果的です。この習慣が心のパターンを再構築し、瞑想の効果を最大限に引き出す手助けとなります。
瞑想の基本姿勢
よくあるご質問
瞑想を始めた方からよくいただく質問への吉川めいの回答です。
姿勢/呼吸について
瞑想のときの呼吸はどのようにすればいいですか?
呼吸は鼻から吸って鼻から吐く、安定的な均等呼吸が理想です。YouTubeの私の動画「心リラックス 均等呼吸法」も活用いただき、それとあわせて練習してみてください。
瞑想中に体がかゆくなったら、かいても大丈夫ですか?
2つの考え方ができます。お好きな方を選んでみると良いでしょう。
1) かゆみをかゆみとして「観る」。ただ坐り続ける。すると、かかないでいると必ずかゆみにはピークがきて、峠が過ぎると引きます。
2) その方法でどうしても集中が途絶えるなら一度かいてしまって、かくことを済ませてさっさと瞑想に戻りましょう。ただし、何度もかくことに戻らないよう、注意しましょう。
あぐら姿勢でお尻の下にクッションを入れて座ると、足先が痺れることがあります。それもただ観ていればいいのでしょうか?瞑想前に座り方を変えてみた方がいいですか?
2つのアプローチが考えられます。
①10分程度の短い時間しか坐らないのであれば、足の痺れを観察の対象として坐り続ける。
②足の不快感が雑念となって集中しにくいようでしたら、おしりの下のクッションをなお高くする。ヨガブロックなどを使っても良いでしょう。または、椅子など高さのあるものにきりかえて、背筋を伸ばして坐っていただくのでもよいです。
お好きな方をお選びください。
体調などが理由で瞑想を座ってできない時、横になって瞑想をしても良いですか?またその時の注意点を教えてください。
横になった瞑想からのスタートでもOKです。その際、なるべくベッドや布団など、普段睡眠をとる場所を避けていただくことがおすすめです(眠気に襲われやすいです)。例えば、ヨガマットの上や畳みの上など、いかがでしょうか。お身体に無理のないような体勢を作ってみてくださいね。
パニック障害のような症状があります。意識を呼吸に向けると吐くことが特に苦しく、そんな自分の浅い呼吸でフラッシュバックのように動悸がしたり、息が苦しいという恐怖感に襲われます。安心してやさしい心で呼吸ができるような自分になりたいです。
ご自身の経験で、パニックのような、呼吸に対する安心感がまだなくてお困りとのこと。よかったら、次のことを試してみてください。
息を吐く時は、とーにかく体をリラックスして脱力する。ゆっくりと最高の温度の温泉浸かるように、「ふぅ」と吐き出す。鼻からが辛い場合は、最初は数回口から吐き出してOK。骨の芯まで安心して脱力して吐きましょう。
息を吸う時は、あなたの目の前に、大好きなごちそうがずらりと並んでいるイメージで、その香りを嗅ぐように吸ってみてください。
これを繰り返して、少しづつ、安定的な、安心呼吸に慣れていきましょう。
感情/感覚について
瞑想中に涙が出ることや笑いが出るなど「感情」が出てくるのはなぜですか?
瞑想中の「間(ま)」で浮上する感情のエネルギーは、普段知らぬ間に抑えてしまわれていたものが多いです。それだけ、日頃から頑張っていたり、我慢していることが多かったのだと思います。その多くは抑えていたとすら自覚できていないものです(だからこそ奥へしまわれていた感じです)。
ただ感じて、観て、共に在るだけで良いです。その際、密かに「早く終わってほしい」など、出てくる感情を嫌がったり、否定する想いがないか注意深く観てみてください。あなたの中に浮上する感情は何一つ“悪者”ではありません。
瞑想で自分の全ての気持ちを受け止めるたびに涙が出ます。その感情はどのように受け止めてあげたらよいですか?
同じくただ感じて、観て、共に在るだけで良いです。その際、密かに「早く終わってほしい」など、出てくる感情を嫌がったり、否定する想いがないか注意深く観てみてください。あなたの中に浮上する感情は何一つ“悪者”ではありません。
出てきている最中はなかなかのチャレンジなのですが、自分に優しく、出てくる感情のエネルギーをそのまま観て、受け止め、味わい、避けずに身体の中を”通らせてあげる“ことを「急がず、せかさず」やってみてください。
心臓がすごくバクバクしているのを感じました。特に何か感情が出てきたのではなく、身体が反応している感じです。抑制していた感情が涙となって出るように、何か押さえていたものが身体の感覚となって出ることもありますか?
はい、あります。
例えば、身体に蓄積されていた緊張感のリリースだったり、過去の経験からの神経の反応だったり、人によって様々な要因があるかと思います。しかし、原因は問わず感情のご質問と対処は同じで、自分の中に浮上するものと戦わず、やさしく見守り、認め、"通らせてあげる"こと。無視せず、否定せず。かといって重視しすぎる訳でもなく、ニュートラルに観て、見守って、通してあげることで十分です。
瞑想中に感情が浮上するとききますが、私は何の感情も出てきません。瞑想の仕方が間違っているのでしょうか?
瞑想中の「間(ま)」で浮上する感情のエネルギーは、普段知らぬ間に抑えてしまわれていたものが多いです。
坐っていてとくに感情が浮上しない方、涙が出ない方も間違っていません。ご安心ください。人の心は豊かです。それぞれ自分のプロセスとタイミングというものがあります。「今は何かが出てくる時ではないのだな」と自分のリズムを信じてあげてください。
瞑想をした日や瞑想の頻度が高い時期に、元々敏感な感覚(感受性)が鋭敏になり過ぎてしまったり、逆に五感が膜を張ったようにぼーっとしてしまうことがあります。長く続けていくとそういうことは減りますか?
はい。瞑想と同時に、瞑想で鍛えられるアウェアネス(気づきの意識)の発達があり、より敏感な気づきをどうハンドリングするかの術を身につけていくでしょう。このとき、適切な指導も役立ちます。逆にボーッとしてしまうことも、同じように気づきの意識の中でハンドリングできてくるでしょう。
瞑想後、なぜか悲しい気持ちに満ち溢れて胸騒ぎがします。自分で深掘ってみても原因に行き着けず、胸に手を当てて温めながら横たわって過ごしていますが、こういう事は瞑想の好転反応としてある事ですか?そんな時はどうするのが良いですか?
2つのことをシェアします。
①これまで抑えていたり、蓄積されていた感情は瞑想というやさしい「間」の中で浮上することはよくあります。もちろん、その多くは抑えていたと自覚できていないものです(だからこそ奥へしまわれていた感じです)。好転反応と捉えて良いでしょう。
②今、本能的にやって頂いている通り、自分に優しく、出てくる感情のエネルギーをそのまま観て、受け止め、味わい、避けずに身体の中を”通らせてあげる“ので良いです。
「急がず、せかさず」がポイントです。時間をかけて行う価値のあるプロセスがあるからです。原因もわからないときはわかろうとしないで良いです。
その他
目を閉じている時は思考や感情に気付くことに集中できても、目を開けて日常に戻ると、何かしらを考えていて瞑想の感覚と繋げることが難しいです。瞑想を続けることで自然と「今ここに在ること」が日常の中でもできるようになりますか?
瞑想を続けることで、自然と、今あること、アウェアネス(気づきの意識)または自己認識が育まれてきます。ですので、気にして、頑張って今ここにいなきゃ!と思わなくても、コツコツと日々の瞑想で自分の心のうち、自分の意識の状態を観察することを続けていただいたら、自然と今あることが日常の中でも、感覚的に育まれてくると思います。
普段の日常では自分で自分をダメ出ししてしまうのですが、瞑想中は、そのダメ出し思考を眺め「大丈夫」と自分で自分に言えた瞬間にわたしはよく涙も出ます。ほぼ毎回なのですが、これは瞑想ではなく熟考してしまっていることになりますか?
思考を眺めているなら、熟考ではないと思います。出てくる感情のエネルギーを流してあげて、リリースしていってください。泣くことを抑制しないでいいです。
近年の世界情勢の不安定さに暗い気持ちや不安に囚われて活力が生まれない日が多々あります。自分の力では到底変えられない世界規模の大きな問題と気持ちの折り合いをつけるのにも瞑想やyogaは有効ですか?
ヨガや瞑想を使ったり、祈りを使ったり。自分にとって合う方法、効く方法を取り入れることができます。瞑想が指している心の知恵は、あなたがあなた自身の意識の方向づけをできるということ。
「変えられないものにフォーカス(固執)していたら辛くなって当たり前」ですが、同じ人が意識をシフトするだけで「変えられるものにフォーカスすること」ができます。
つまり、一人の人間の力で世界情勢を動かすことはできませんが、一人の力で「その人の世界」を変えることができる。そうやって、いい波紋を広げていくこと。一人ひとりが自分から変わることで、ひいては集合体が変わるのだと私は思っています。
ガンジー氏の言っていた"Be the change you wish to see in the world." (「世の中に変化を求めるなら、あなた自身がその変化そのものに成りなさい」)ということです。
今日も、まずは自分の心、自分の呼吸から丁寧に扱っていきましょう。