Q. 瞑想は怖くて怪しいものというイメージがあります。大丈夫なのでしょうか?
A.吉川めいの回答
ご質問者様のように、「瞑想って…怪しくない?」といったような、瞑想に対して少し恐れや近寄り難いイメージを持たれたことは皆さまはありませんか?
日本においては、1995年の地下鉄サリン事件を起こした宗教団体が瞑想やヨガを取り入れていたことから、瞑想は風評被害ともいえるネガティブな影響を大きく受けていると言えます。当時の印象を直接覚えていない方であっても、いまだにヨガや瞑想に対して「なんとなく怖い」という印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、近年ではグローバル化の進展に伴い、外資系の大手企業や有名大学が瞑想やヨガを取り入れるなど、海外の情報も多く伝わるようになり、ヨガや瞑想に対してポジティブな印象を持つ方も増えてきています。
瞑想は、心の中の領域に関するものであるため、大きな力を持っており、それを「怖い」と感じる方がいらっしゃるのは健全なことだと私は考えます。むしろ、場合によってはこのような慎重さを持つことが、盲目的に飛び込むよりも望ましいとも言えるでしょう。
それでは、どのような瞑想が怪しいネガティブなもので、どのような瞑想があなたの力となるポジティブなものなのでしょうか?ポイントは「判断軸が自分にあるのか、それとも他にあるのか」です。
本来、瞑想とは「ニュートラルな意識状態に慣れ親しむこと」であり、これはあなたがあなた自身のために行うものです。ニュートラルな意識状態になったとき、自分の判断で自分の内面を観て感じ、またその瞑想での気づきを自分の判断で日常に生かしていくものです。インストラクターがいる場合でも、インストラクターはあくまであなたがニュートラルな状態になれるよう、様々な角度から支援する存在に過ぎません。
ニュートラルな状態になった際に、指導者が個人的な主義や主張を伝えるような場合、それは瞑想ではなく、洗脳と言えるでしょう。瞑想とは「誰かの思考や観念」を(本人の意思とは無関係に)植え付けるものではありません。
ご自身の「判断」を放棄し、瞑想を誘導する側に(盲目的に)答えや判断を委ねることのないようにしてください。自分の望まない思想の“種”を植え付けられることもあり、それこそがまさに皆さまが怖れている点ではないでしょうか。
あくまで、瞑想をして自分を観るのもあなた自身であり、気づくのもあなた自身であり、答えはあなたの中にあります。誰かや何かに依存して答えを求めるものではないことを認識していただければ、瞑想は決して怖いものではないとご理解いただけるでしょう。
(なお、ヒプノセラピーやイメージ瞑想など、セラピーを目的とした瞑想の分野においては、これまでネガティブだった心の土壌に、あえてポジティブなイメージや発想を“植え付ける”方法もあります。しかし、そのような手法を選ぶかどうかは、実践者ご本人にあるということを必ず忘れないでください。)