多くの学校や教育サービスが「線」に沿った学びを提供していますが、MAE Yのプログラムは「点の集合体」としてのアプローチを採用しており、慣れていない人には最初は戸惑いを感じるかもしれません。しかし、この「点」による学びには「線」では達成できない独自の価値があるのです。
瞑想やマインドフルネスでは、気づきを通じて自身の心の理解を深め、人生を選んでいく過程が重要です。理解は知識ではなく、体験やタイミングによって深まるものであり、時間が経ってから初めて腹落ちすることもあります。したがって、理性や論理だけでは十分に学びきれない部分があり、これはまさに「科学」ではなく「アート」の領域です。
つまり、気づきの道のりは、理性や論理だけでは到達できないのです。全てが美しく整理されるものではないのです。私がテーマ別ワークショップで提供するように、その一部分である「知識」の部分は整理できますが、瞑想やマインドフルネスは生涯にわたるプロセスです。一つひとつのポイントを多角的に、繰り返し眺め、同じことをさまざまな視点で再度確認することで、適切なタイミングで気づけるような、「タイムレスな点」でのアプローチが効果的です。
奇妙に聞こえるかもしれませんが、瞑想やマインドフルネスの学びにおいては、「一度で全てを理解できなくても良い」のです。これは、理性や論理を超えたステージの話だからです。ですから、学び続けることが大切だと考えています。
継続してさまざまな「点」に触れることで、ふとした瞬間に“しっくり”きたり、頭ではなく "心にスッと落ちる”体験が得られるでしょう。同じお花畑に咲く花々が、それぞれのタイミングで咲くように、各自のタイミングで必要な「知恵」に気づき、それが身につきます。この瞬間を私は尊重しています。この学びは、記憶に残らなくても、その人の人生に力を与えるのです。
また、瞑想やマインドフルネスの実践をカリキュラムとしてまとめてしまうと、「学びに終わりがある」という錯覚を引き起こす懸念もあります。「終わりがある」と思わせることは、「線」の学びであり、先に進んでいる人と後から来た人の間に優劣を作り出す恐れもあるのです。
学校教育などでは、特定の学びについては順序立てて進めることが重要ですが、「気づきの道」に優劣は存在しません。10年瞑想を続けている人も、今日始めた人も、同じ道を歩んでいます。なぜなら、瞑想の世界では、常に「初心に返る」ことが大切だからです。MAE Yでは、線上での上下関係を作らず、コミュニティとしてもそのような学びの場を大切にしています。
また、MAE Yの参加者のアーカイブ再生数が非常に多いことに驚かされています。レビューを見ると、「アーカイブは何度も聞き返しています」「復習のために使っています」といった意見が多く見られます。中には、「最初はパソコンでしっかり受講し、2回目以降は家事や通勤時間、寝る前に聞いています」という方も多いです。
みなさんは感覚的にこのようなやり方をしているかもしれませんが、私から見てもこれは大正解です。すぐに頭で「分かる」ことには限界がありますが、心地よいことや新しい発想を日常生活の中で「リピート」し続けることで、潜在意識に変化をもたらすことができるのです。
これからも、皆さんと共に、頭ではなく「身体に落とし込む」体感的な気づきの道のりを共有できることを楽しみにしています。
吉川めい