ヨガの先生はきらびやか?

ヨガの先生はきらびやか?

きらびやかなヨガの先生。

Let me be clear—

 そんなのいないよ!


ヨガや瞑想を教える側に座ると、そんなキラキラでピカピカなイメージがもれることなくついてくるのですが…

わたしをはじめとして多くの歴の長いヨガインストラクターなんて、しょせんドロドロな過去があって、自分の弱さに直面して、どうしようもないどん底を味わって、何かに救いを求めたからヨガを見つけている人が多いのです。傷だらけな状態から心とカラダの自己治癒を身につけ、磨きをかけつつ、今に至ります。


その道でわかったことがあります。


インドに伝わるヨガのシンボルで「蓮の花」があります。

泥沼の中でポンっと浮かぶように潔癖な花を咲かせる蓮は、この世の色々の中でも汚れのない姿を象徴としていて、蓮華座や瞑想する女性(パドマーサナ)もここから名前をもらっています。


アレ?

潔癖どころかわたし泥だらけじゃん?

と思ったのですが、そういうことじゃなかったの。


どんなに色々あっても、何度折れても、めげても、苦しんでもがいても…

心のその先に、触れられない聖域があったのです。


それは、みんなにある“ところ”なんです。


つらい体験の最中、ときにそこを見失うこともありますが、見失っても忘れても無視しても、なくならない。なくなれない。

そんな時間のない“ところ”があって、そこはどうにもこうにも汚れのない無限に広がる空のような意識なのです。言葉で伝えられるものではないから、だから「経験と体験」を全身全霊で体現して私はシェアするのです。


もし今、苦しかったりモヤモヤもがいている方がいたら、感じられなくても知っていてね。

どんなに真っ暗な夜が来ても、日が昇ることを知っているように。どんなに雨が降り続けても、必ず止むときがくることを知っているように。


信じるとか信じないとかそんな話じゃなくて、ただ、それがそうだから。

小さな種が、目に見えない内側でもがいて、カオスを起こして、破裂しそうになって恐れていても、種にとっては、芽が出ることが運命なのです。

そのときはきっと、みんなで一緒に「雨もお恵みだったねー」って、言えるよね。

 

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