ママへ

ママへ

ママへ。

もうこんなことを口にするとは思っていなかったけど。ママに会いたいよ。

ママは私の人生のうち17年間、ずっと重い病気を抱えていた。だから私は、自分が17歳になるまでのママしか病気のない姿では知らないし、そのうち最初の数年はまったく記憶にないのだから、その数年は数えられないよね。私が17歳のときに発病したママは、まだ47歳だった。私が20代を過ごしていた中で、ママは空間認識を失い、長期的な記憶を失い、そのうち短期的な記憶も失った。ママが私の名前を呼ぶことはなくなったし、それどころか私の目を見て話すこともなくなった。私は、何百万回「ママ」を作る意識が、一体私のことを認識できているのか?と考えたことだろう。

ママが全身の車椅子に横たわるようになって何年も過ぎ、自分でご飯を食べたり、トイレを使ったりすることができなくなって何年も経った、ある年のクリスマスのこと。姉と私がママの大好きなクリスマスキャロルを何度も何度も繰り返しスピーカーで流した時。奇跡が起きた。

ママは、突然激しく声をあげて、張り裂けるような大声で「ラパンパンパン!」と叫んだ。それは「リトルドラマー・ボーイ」だった。

私たちの目からは涙が溢れた。

そして、私たちは、まだ「ママ」はそこにいるのだと、確認できたように感じた。


その数年後。医師たちの予後が「統計的には、長くても余命10年です」と、予測された期限が7年も過ぎた後、私たちは電話を受けた。

ママは終わりに近かった。

私たちはママの側にいるために飛んで、静かな瀬戸内海のほとりにある、ママが長いこと過ごした施設へ行った。

そして… ママは私を選んだ。
言葉はなかったけれど、ママの意図が、私には「聴こえた」
「近くに来て」と。

私がママのベッドの枕元に座り、頭をそっと撫で続けると、ママは数分もしないうちにとても穏やかに最後の息を引き取った。

ママ、私はヨガの先生なんだよ。
これまでに、何百人、もしかしたら何千人もの人を、より健康で生き生きとした人生が送れるよう、丁寧に、大切に呼吸することを見守り、深く聴き、支え、導いてきた。それなのに、ママの時だけ、最後の息を見届けた。それを見届けるのが私だったことを、この上なく誇りに思い、心より感謝しているの。

なんて美しい女性なんだろう、ママは。

ママは私が34歳のときに亡くなった。それまでの私の人生のちょうど半分、病人だったということ。

私の人生の最初の17年間。ママはとっ散らかっていたことも多かったけど、誰よりもパワフルで輝かしい存在だった。そんなママを、私が大人になってから知ることはできなかったけど。なぜだろう? それでも私は、誰よりもママをよく知っているような気がしてるの。

それは、ママを通じて、「ママの存在の意識」に耳を傾け、そこに耳を澄ますことを学んだからかな。私は、この恩恵を、私が愛する全ての人に伝えていくと心に決めました。

今でも時々、ママに会いたくなるよ。

めいは永遠に、ママの「ちび」だから。

Written by MAE Y on Mother's Day 5.12.2024

    

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